2018年で芸能活動を引退、
今後は裏方として若手の育成に専念すると表明しているタッキーこと滝沢秀明さん。
2018年12月28日放送の、「金スマ(金曜日のスマイルたちへ)」で、
初めて自身の幼少期について語っています。
タッキーの愛称で親しまれている滝沢秀明さん。
その甘いマスクと親しみのある性格で、たくさんのファンをトリコにしてきました。
そんなタッキーのキラキラ輝くイメージとはかけ離れた幼少期が、そこにはあったのです・・・
なんとタッキーの家は母子家庭ですごく貧乏だったとか。
タッキーの現在のキラキラしたイメージと、その壮絶な幼少期とのギャップに衝撃を受けた方も多いのでは。
(もちろん私もその1人なんすが・・・)
今回は、そんなタッキーの幼少期について、
そして今後のタッキーの滝沢秀明としての生き方にスポットをあてて見ていこうと思います。
それでは、
「タッキー 滝沢秀明という生き方【金スマ】幼少期の泣ける感動秘話!貧乏・母子家庭があって今がある」
と題して、さっそく見ていきましょう!
最後までお付き合い頂けますとうれしいです^^
もくじ
タッキー(滝沢秀明)のプロフィール
簡潔にタッキーのプロフィールを見ていきましょう。
タッキー初のLINE LIVEのコメント数がえげつない!#滝沢秀明 #タッキー pic.twitter.com/HKDMWu0qqR
— ぽぽにゅー♡ (@kumahalo_wg) 2018年12月27日
滝沢秀明(タッキー)
生年月日:1982年3月29日(2018年12月現在36さい)
出身地:東京都八王子市
身長:169cm
血液型:A型
ジャニーズ入所:1995年、13歳のころ。
タッキー(滝沢秀明)の涙なしには見られない幼少期とは
タッキーの幼少期と芦田愛菜って似てると思うんだけど pic.twitter.com/WeN01iz4ZH
— マーチャンダイジング堀込@ラルクリ余韻 (@leicnekluh) 2018年9月15日
「自分の中で封印していた時代なので。この番組ではじめて晒します」
タッキー自身がこう語るほどの、タッキーの幼少期の生活とは一体・・・
上記プロフィールにも記載の通り、
1982年、東京都八王子市で誕生したタッキーこと滝沢秀明さん。
兄弟は3歳上の姉と、2歳上の兄がいて、タッキーは3人兄弟の末っ子なんだそう。
タッキーは、誰が見てもイケメンというであろうその整いすぎている顔立ち。
その顔立ちから、子供のころから王子様で、さぞ幼少期からキラキラとした日々を送っていたんだろうな〜なんて思っていました。
しかし本当のタッキーの幼少期の生活は、そんなイメージとは真逆。
大変すぎるる思いを子供ながらに抱えながら頑張ってきたんだ・・・と思うと、
涙なしには、語ることができません><
そんなタッキーの壮絶な幼少期を、1つ1つ見ていきましょう。
タッキー(滝沢秀明)さんと父親の悲しい過去
「父親からは、子供ながらにわかりやすい愛情を受けた記憶はない」
と話すタッキー。
子供の頃にこのように感じてしまうほど、というのはあまりにも悲しいです。。
幼少期というのは、その人自身を形成するのに1番大事な時期と言われていますし、
この時に「愛情をうけた記憶はない」ときっぱり言い切ってしまうほどというのは、相当なんだと思います。
小さい頃の男の子なんて、お父さんとたくさん遊んだり、甘えたりしたいはずです。
相当寂しかったでしょうね。。
のちにタッキーのお母さんお父さんは離婚することになります。
離婚は、小さい子供にとって、
「親同士が決めたこと」「仕方ない」なのかもしれませんが、
悲しくて悲しくてどうしようもないことでしょう。
現実的に考えることの難しい幼少期なんて特に、感情が先行してしまうことが多いでしょうに・・・
なんとも悲しいエピソードです。
タッキー(滝沢秀明)の家は母子家庭になる
タッキーが幼少期(幼稚園)のころ、
両親が離婚し、父親が家を出て行ったそう。
タッキーや兄弟は3人とも母親が引き取ることになったと言います。
母親3人で3人もの子供を育てていくのは、本当に、本当に大変だったことでしょう。
どれだけ身を挺して働いても、1人で働いて稼いでいくのには限界があります。
父親が出て行ってからの極貧生活は相当なもので、
鉛筆や消しゴムすら満足に買うことができない状況だったと言います。
タッキーのお母さんは子供たちを食べさせるため、生活のため、夜遅くまで働いていたようです。
そんな遅い母の帰りを待つ間、兄弟で1つのお菓子を食事代わりに食べていたというエピソードも。
本当に、想像を絶する生活だったんでしょう。
タッキーは、一刻も早くこの状況から抜け出したかったそうで、
中学生の頃には、
「どうやったら子供も働けるんだろう・・・」
ということばかり考えていたそうです。。
タッキー(滝沢秀明)の苗字が滝沢になる!
タッキーは母子家庭だった頃、母親の姓の「指田」という苗字だったそうです。
その後、母親が再婚して今の「滝沢」という苗字になったんだとか。
今でこそ、みんなタッキー!タッキー!と当たり前のように読んでいますが、
お母さんが再婚しなければ、「タッキー」は誕生しなかったんですね。
そう思うと、なんだか感慨深いような気になってきます・・・。
タッキーの幼少期めっちゃ芦田愛菜では?? #少クラP pic.twitter.com/r1L72YiLDU
— ⓐⓜⓞⓣⓐ (@amotamoti13) 2018年12月21日
タッキーはジャニーズJrの頃から「タッキー」でした。
周りにもそれがふつうのことでした。
しかし、タッキー本人だけが、
「滝沢」という名前に慣れていなかったので、「タッキー」にも、当初なかなか慣れなかったそうです。
そんな複雑な幼少期を過ごしたタッキーですが、お母さんはとっても明るい方なんだそう。
そんな壮絶な状況下であっても、お母さんが明るいのは救いですよね。
子供に辛い顔を見せまい!と頑張っていたんでしょうか・・・
幼少期の難しい時期ですし、いきなり違う人がお父さんになるというのもなかなか精神的にくるものがあります。
さらには、タッキーのお母さんと再婚相手の間には、男の子を1人授かっているそう。
父親と離婚、母子家庭からの極貧生活、そして新しい父親・・・
気持ちが追いつかなくなってしまいそうです。
それでも頑張ってきたタッキー、複雑な環境ながら1つ1つ乗り越えてきたんだなと思いました。
タッキー(滝沢秀明)ジャニーズ入所はお金のため
タッキーの幼少期が沼すぎて死んだ😂 pic.twitter.com/kCfApRaaBI
— ひつじ💎💥🔫 (@xy10_12) 2018年12月3日
中学生の頃に、その貧乏すぎる生活から、
「どうやったら子供も働けるんだろう」と考えていたタッキー。
お金を稼げるなら、「どこでもよかった」
タッキーは、ジャニーズやアイドルへの憧れがあったわけでもない。
ただひたすらに、「お金がもらえるなら、 今の生活からぬけだせるのであればなんでもよかった」と、自ら書類を送ったそう。
タッキーのウィキペディアには、
「姉だったファンの影響」
「堂本光一に憧れ自分で書類を送った」
とありますが、こちらは本当の理由ではなかったんですね。
タッキーは自分で書類を送り、見事書類先行を通過。
オーディションの日を迎えるも、ボロボロの服で参加したんだそう(´;ω;`)
そのオーディション当時のことについて、
タッキーはこう振り返っています。
「ボロボロの服を着て・・・。オーディションが終わる時に“僕がジャニーです”って…
ジャニーですって言われても誰だろう?って。僕は本当に詳しくなかったので」「隣に翼もいたんですけど、翼はジャニーさんが名前を聞いていて、
この子受かったんだろうなって」引用:https://www.oricon.co.jp/news/2126427/full/
このとき隣にいたのが、のちにタッキー&翼として長年苦楽を共にすることになる今井翼さん!
すごいですね。これは運命なんでしょうか・・・!
タッキーは無事オーディションに合格。
13歳で、晴れてジャニーズの仲間入りを果たすのでした。
13歳でこれだけの行動力・・・
そして結果を勝ち取ってくるタッキー。
「この井蛙kつから抜け出したい!」という気持ちがあったとしても、
こうして結果を出しているのはすごいことですよね。
えび座で流れてた、タッキーが山ピー抱きしめるやつ、ちょうどYouTube見てたら流れてたので撮った。
めっちゃかわいい。
ていうかずっと思ってるけど幼少期の山ピー、勸玄(海老蔵の息子)に似てる。きゃわ。 pic.twitter.com/0BSYBqDMOo— ゆうな👑 (@yunacreat) 2018年10月14日
タッキー(滝沢秀明)にとってジャニーさんはお父さん代わり
ジャニーズに入所したタッキーは、
ジャニーさんから演出のことから、仕事以外でも人として大切な生活の規律に至るまで、さまざまなことを学んだと言います。
「小さな頃に学ばなきゃいけないことを1から教えてくれた人。
どこかで、”オヤジっていうのはこういう存在なのかな」
と、ジャニーさんを通して、“父親” を感じていたそう。
思春期で多感な時期に、タッキーが怒りの矛先をジャニーさんに向けてしまったことも。
それでもジャニーさんは、いつも優しく大き愛で受け止めてくれたのだとか。
また、嵐結成時のエピソード。
嵐結成にあたり、5人がジュニアから出ることになった。
「今後のジュニアをどうしていくか」ということを、ジャニーさんとタッキーは相談しながらやっていたといいます。
それほどまでに二人の関係は深かったんですね。。
最初タッキーが引退して、ジャニーさんの後を継ぐ的な報道が出た時
「え〜〜〜〜?」と思った私ですが、
このエピソード一連を聞いて、納得することができました。
父のように愛情をもって、仕事以外のことまでをも教えてくれたジャニーさん。
やっぱり、タッキーのなかでは「お父さん」なのかもしれませんね。
そう思える存在に出会えたことは、タッキーにとって、とても大きなことだったんでしょうね。
タッキー 滝沢秀明という生き方【金スマ】幼少期の泣ける感動秘話!貧乏・母子家庭があって今がある まとめ
昔ドラマでタッキーが演じる役の幼少期を演じてから長い月日が経ちましたね。本当に本当に尊い時代をありがとう。素敵なお兄ちゃんだね。 pic.twitter.com/ASYpKUSlHx
— 🍳にな(・゚ρ゚)JIP’s (@JIPSNINA) 2018年9月13日
タッキーの幼少期の話に心を揺さぶられた!
という方がとっても多いのではないでしょうか。
過去があって今がある。
タッキー自身の中で、これまでずっと封印してき幼少期のことを話すつもりになったのも、
そんな自分の過去を完全に、乗り越え、さらに1つ上のステージへ進もうとしているタッキーだからこそではないでしょうか。
これからは裏方に専念するというタッキーですが、
これまで培ってきたことや、さまざまな経験を次の世代へ繋げていってくれることでしょう!
表立った活動はなくなりますが、これからもタッキーこと滝沢秀明を応援しています^^
▼タキツバのこれからを、心から応援しています!
▼タッキーの最後のドラマ「孤高のメス」は2019年1月から放送!
▼タッキーの初裏方仕事は、彼らのMVのプロデュースをしたことだそうですよ!